月の庭で見た夢を

ニコッとタウンでひとりごと。

今年殺した全てに乾杯

天使と悪魔のナイトパーティー

天使と悪魔のナイトパーティー

生きることは何かを殺すこと。

血肉にすべく食する他の生物はもちろんのこと。
刻一刻と消費する時間。
生きる毎に減っていく夢や希望。
時には絶望。
タスクとしてのしかかるノルマの数字。

何かを殺すという対価を払って何かを得る。
今年もそうやって生きて,来年もそうやって生きる。
殺す何かと得られる何かはきっと少しずつ変わっていく。

どう変わるかちょっと楽しみで,やっぱり怖い。

 

 

 

雨粒の街角で

雨降る街を彩る紫陽花

雨降る街を彩る紫陽花

雨の日は好き。
しとしと降る雨は心を静かに落ち着けてくれる。
激しい雨は要らなくなった情念を洗い流してくれるようで心地よい。

雨が降る梅雨も好き。
だから「鬱陶しい季節」と言われるとムッとくる。
誰もが鬱陶しいと思っているように言わないで。

雨粒を喜ぶ紫陽花や夏の花火を先取りするみたいな紫君子蘭。
同じ花を見ていた様々な過去の季節を思い出す。

循環する大気の上昇気流が集まって降ってくる雨粒たち。
きっと世界中のいつかの記憶や想いが
たくさん詰まっている。

雨は地球が奏でる詩なのだと思う。
いつか私もその一部になる。

書店で過ごしたあの頃のこと

インクの香りと過去への扉

インクの香りと過去への扉

引っ越しが多い私にとって,
増殖し続け場所を占拠し運ぶのが大変な本というものは困った荷物だ。
だから、Amazonで初代Kindleが発売された頃から買うのは電子書籍ばかり。
本屋さんへ行くこともなくなった。


けれど,
昔は一人で本屋さんの棚を見上げて過ごす時間が大好きな子供だった。
学校帰りによく立ち寄った、今はもう無い個人書店。
書棚の様子や店内の風景を、今もよく思い出す。

小さな街の少ない本屋さんだから,
書店でバッタリ誰かと出会うこともよくあった。
好きな本のコーナーで出会う人達のことは大抵好きだったら、
今日は誰かに会えるかなというのも楽しみの一つだった。

季節によって変わった本屋さんで流れる音楽や、いくつかの出会い。
背表紙に見る知らない世界。

そういえば、この季節、
本屋さんのレジで新入学セールのカレンダーカードをもらうのが楽しみだった。
うる星やつら』とか『みゆき』とか
その頃人気だったアニメキャラクターのカレンダーは貴重だった。
徒手帳に挟んで持ち歩いたものだ。

新しい季節の扉は、同じ季節を過ごした過去を見る窓になるようだ。

 

 

異世界からの便り

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(2020-01-17)

年始が訪れる度に、記憶の彼方に沈む遙かな時代から葉書が届く。
いつの日か確かに存在していた風景の中で、
確かに生きていた私と彼、彼女。相互を繋いだ友情。

年賀状は過去に生きた自分の証なのだ。
受け取っているのは今の私ではなく過去からやってきた私。
だから私はちょっと遠巻きな気持ちで年賀状を遠ざける。

「そのうち会いましょう」なんて言っても会わないし、
「近くにお越しの際は連絡を」なんて言っても連絡しない。
今の私は過去の私ではなく、過去の私を好きかどうかもわからない。

あの学び舎で過ごした日々から30年も40年も過ぎてしまった。
そして私は別人になってしまった。
大好きだったことにも興味を失い、違うものを追いかけている。

お正月に届く異世界からの便りを見るために帰ってきた過去の自分は、
ひととき居心地悪そうに座って、すぐに消えていった。
過去の私が嫌いだった生き方を、いつのまにか歩んでいる。

 

歳々年々人同じからず

神代の図書館と星の導き手(2019-09-05)

神代の図書館と星の導き手(2019-09-05)

小さかった頃。
いつも東京の従姉から届くお洒落なお下がりの服が楽しみだった。

今年はシンデレラみたいなあの服,着られるかな?
わくわくしながら試着する。
あぁだめだ。まだ大きすぎる!

今年はどうかな?
まだちょっと大きいけど着ちゃおう!

ぶかぶかの服が持つ余白は未来への夢。
ピッタリ着られる日は大人へ一歩近づく日。
余白は幾らでも楽しみに変わっていった幼い日。

未来が未知なのは今でも同じ筈なのに,
あの頃のように何もかもを新鮮に感じるのは難しい。
あの頃と変わらない空を見上げ,
あの頃のようにワクワクしない自分を悲しく思う。

その代わりに得たものは,
昔持っていたそんな心を思い出し感傷に浸る術。


10月に入るといつの間にか消えてしまう蝉のように,
消えてから気がついて,
ちょっともの悲しい気持ちで懐かしむ。

 

どうしようもなく鳥が好きで

ようこそ ことりカフェ

ようこそ ことりカフェ

ほんの小さな子供だった頃から鳥が好きだった。
幼稚園のお絵描きでも必ず小鳥を描いていた。

嘴ってどうなっているんだろう。
翼ってどうなっているんだろう。

小鳥を飼ったら肩に乗ってくれるかしら。
羽ペンが作れるかしら。

 

親にねだってねだって
やっと飼えることになった十姉妹。
たくさん増えても慣れてはくれなかった。
でもみんなとても可愛かった。

 

近所の小鳥屋さんへ
お小遣いを握りしめて買いに行った文鳥の雛。
可愛がって可愛がって育てたのに
私の不注意でたった3ヶ月で死なせてしまった。

今でも思い出すのが辛いほど
一方的に私が悪い事故だった。

 

それから3年
もう一度だけ鳥を飼うことにチャレンジした。
鳥が好きで好きで、鳥がいる生活を諦めきれなかった。

お年玉を貯めて買った九官鳥。
よく懐いてくれた。
私がエレクトーンの練習をすると
いつも一緒に歌ってくれた。

だけど半年で死なせてしまった。
ネットもなかった昔、
正しい飼い方を得る方法がなかった。
寒さにやられ病で逝ってしまった。

 

文鳥のこと九官鳥のこと
思い出すたびに泣いて泣いて
でもどうにもならなくて、また泣いた。
涙は天国の彼らに届かない。

 

子供時代を共に過ごした鳥はこれで終わり。
もう失うことに耐えられなかった。
そうして大人になって最後の鳥を迎えた。

オカメインコ
インコやオウムは寿命が長い。
自分の年齢を考えると最後の機会だと思った。

 

そのオカメインコはもうすぐ16歳。
オカメインコの飼い方を色々調べ勉強し、
1年をかけて迎える子を探した。
会った瞬間にこの子だと思った子だった。

一日でも長く一緒に時を刻めますように。

天国にいるかつての愛鳥たちを想いつつ
今日もオカメインコ
かけがえのない一日を過ごす。

 

花火の夜は一人で

ドキ☆ドキ SUMMER NIGHT IMPACT

ドキ☆ドキ SUMMER NIGHT IMPACT

沢山の場所に住んだから
色々な花火を見てきたなと思う。

で、いつ見た花火が一番心に残っているかと考えると、
毎年一人で見ていた地元の花火だ。

実家から歩いて行ける距離の、
地下水が湧き出る川縁。

そこが幼い頃から私が地元を出るまで、
毎年の花火大会会場だった。

幼かった頃は、親や祖母に連れられて。
中学生から高校生の頃は、一人で。

大学生になって地元を離れても、
花火大会の日付に合わせて帰省し一人で見た。

今時のアニメのように、浴衣を着てとか、
好きな人や友人と一緒になんて一度もなかった。

いつも一人。
心地よい破裂音を聞きながら無心に見るのが好きだった。

そして花火が終わって、
その年の流行歌が流れる会場を一人で去るのが好きだった。

それは私の中の儀式だったのかもしれない。
花火から去りながら未来の自分へ向かって歩いていた。

そんな気がする。
一人で歩く必要があったのだ。